小さなうつわのメッセージの「折々の記 第61号 」

折々の記第61号

はじめに
小さなうつわ

小さなうつわと出逢った時に、私の書いた「小さなうつわ」と題した文です。

思えば、私の今生の人生の半分は「小さなうつわ」にご縁を戴いて過ごしてきた日々でした。その始まりは、代々カトリックの信仰を持つ家の夫にご縁を戴いて、私もカトリックの信者としての洗礼を戴いたその日の事でした。

洗礼式の御ミサが終わった後に、その御ミサに出席されていた山梨県の忍野にある富士聖ヨハネ学園のシスターに、学園のバザーのお誘い頂きました。私はそのバザーに行き、富士聖ヨハネ学園の園生の制作した陶器に出逢いました。その時、その陶器の持つ暖かさにすっかり感動して、その陶器のファンになりました。其の後そのご縁から、その陶器をお友達に紹介する「小さなうつわの会」と名付けた会を始めることになりました。

其の頃のことでした。私の家の近くにある視覚障碍者の施設に通う、視覚障害者の織田津友子さんと、腕を組んで道を歩くお友達になりました。丁度、3月3日のお雛祭りの数日前でしたので、お雛祭りに、津友子さんを家にお招きすることにしました。

そして、そのお雛祭りには、富士聖ヨハネ学園の園生の制作した陶器を使って、御馳走を盛りつけました。

そのうつわについて私が紹介する前に、津友子さんはそのうつわに触れると、両手にそのうつわを載せて、「暖かいうつわ」と言ってうつわを抱きました。

今でもその時の津友子さんの姿は、記憶に残っています。

津友子さんはその頃、電話交換手になるための訓練をしていて、その訓練は3月に終わり、4月に電話交換手として就職をしました。そして初給料を戴くと、富士聖ヨハネ学園の陶芸班に寄付金を贈ったと、津友子さんは、嬉しそうに私に話して下さいました。

その時の津友子さんの姿は、私の記憶の映像にしっかりと残っています。

そしてそのすぐ後に、私は、ヨハネ学園の陶芸をご紹介する会を作りました。

そして、その会の名を、津友子さんが、ヨハネ学園のうつわから戴かれた心を思って「小さなうつわの会」と名付けました。

続けて、その時「小さなうつわ」題して記した文です。


旧小さなうつわのメッセージ(山梨版)は、こちら