小さなうつわのメッセージの「折々の記 第61号 」

折々の記第61号

おわりに
今生戴いたお恵み

日頃、自分の齢の事を考えずにいましたが、年齢早見表というのを見て、改めて1929年生まれの私は「90歳」と書かれていて、「90歳」いう齢を意識しました。

戦前の物質的に豊かだった時代を経て、戦中戦後の厳しい物のない時代を体験して、其の後の物質謳歌の高度成長の時代にすっかり浸かりました。90年という年月を通して、様々な世情を体験して、戴いたお恵みについて思います。

今生、私が心に残るご縁は、障害をもたれた方々とのご縁でした。

まず、母でした。私の10歳の頃、母はある出来事から心に傷を受けて、精神分裂症という病になりました。戦争中だったこともあり、餓死という扱いをうけてあの世に旅立ちました。

其の後、成人した私は、カトリックの信徒にご縁を戴き、富士聖ヨハネ学園との交流が始まりました。そして、学園の園生の創る「うつわ」に出逢いました。

それからの私の人生の道は「うつわ」に導かれて「小さなうつわの会」と名付けた会と共に歩みます。その「うつわ」に始めて出逢った時に記した文を最後に、今生のご縁のお導きへの感謝と致します。

小さなうつわさん、ご縁を戴いたことに感謝を申し上げます。全てが、自分にとって良いことだけでは、この世に生を戴いたお恵みではないのでしょう。様々な苦難があって、心は成長して逞しくなり、その苦難に導かれて、心に優しさが生まれるのでしょう。

小さなうつわさんに捧げる感謝の文です。

小さなうつわは今は神様のおそばです。
神様の大切なものをいれるうつわです

小さなうつわは見えますか
ええ、見えますとも透き通っているから

「それでは小さいか大きいかわからなくなっちゃった」と
ある人がつぶやきました

この呟いた方は、その頃、山谷にいらした澤田和夫神父様です。

澤田神父様も、富士聖ヨハネ学園の陶芸作品を、使って下さっていました。


旧小さなうつわのメッセージ(山梨版)は、こちら