小さなうつわのメッセージの「折々の記 第58号 」

折々の記第58号

マリア様の月の観音様の日の
5月18日

5月は聖母マリア様の月。そして18日は、観音様のご縁の日です。

今年の 5月1 8日の朝、私は47年前の 1972年の5月 18日に、アメリカ、コロラド州デンバーで戴いた出来事を思い出していました。そしてその後、その時の事を記した 作品集『ライラックの垣根の家の物語』を、インターネットに記載してある「小さなうつわのメッセージ」から読みました。

そして、あの不思議な一瞬の出来事を思い出しました。

その時のことを書いた文です。

胸いっぱいのライラックの花を抱いて(お礼にケーキを焼いて持って行こう)と、うきうきとした心で家の戸を開けた私の頭の上から突然「Melting the evil the love」『罪を溶かす愛』という言葉が入ってきました。その日は、マリア様の月の観音様の日という5月18日にでした。

この47年前の5月18日から「Melting the evil the love」の「Melt」(心が和らぐ)(憐みの情が起きる)(溶け合う)というコトバの謎解きが始まります。

以前に記したその謎解きの文です。

「Melting the evil the love」それは「母なる方の愛」を求めるメッセージ。
このメッセージを戴いて、私の人生の心の旅の始まりだったのかも知れない。

その旅は(心が和らぎ)(憐みの情が起き)、そして(それぞれの色が光によって溶け合う)ということを教えて戴いたと思っている。

私が「マリア・アスンタ」(被昇天のマリア)という洗礼名を戴いて思ったことは「聖母マリア様が肉体のまま昇天された」ということは、この世に起きた全てを受け入れる「母の愛」のことと思った。肉体を持つこの世の死を超えての霊的な魂の昇天とのみ考えていた私の死生観から、肉体のあるこの世を受け入れ、それを愛してはじめて得る「MELT」。それは昇天に繋がる意味だったと気づかされた。

続けての文は、47年前の5月18日の出来事を記しています。

1973年日本に帰国後、次々と障害をもたれる方々のご縁を戴きました。

富士聖ヨハネ学園の知的障害者の造る陶器に、視覚障碍者の津友子さんが不思議な心の温もりのあるうつわと気づいたことから、富士聖ヨハネ学園の陶芸作品のファンの会「小さなうつわの会」が1978年5月18日に生まれました。

其の後、約30年の間「小さなうつわの会」は、みんなで集まって楽みました。

そして2005年5月17日に会は終焉しましたが、当時「小さなうつわの会のお便り」を「小さなうつわのメッセージ」と題して印刷して、ご縁の方にお送りしていました。その頃、ご縁を戴いた「 FULTA IP」さんによって、2005年7月18日からインターネット上で掲載することになります。

1973年5月18日、アメリカのコロラド州デンバーから始まり、障害をもたれた方々に次々とご縁を頂くという、私のノン・フィクションの人生は「罪を溶かす愛」「罪を清める愛」というメッセージを頂いての旅でした。・・・

山梨で「FULTA IP」さんとのご縁を戴いて生まれた「小さなうつわのメッセージ」は、今回の「折々の記」で終わりますが、今年の春、夫の山梨での仕事がに終わり、夫の故郷群馬県館林に帰ることになり、新しい住まいに落ち着いたら、ご縁を戴いた方のご協力を戴いて「小さなうつわのメッセージ」を続行することになるかもしれませんが、その時を思い「SEE YOU AGAIN」と申し上げます。

2019年1月10日「折々の記」57号

そして・・・今年、小さなうつわの思い出の記念日の5月18日の前に、この館林で、専門にコンピューターのことなさる方にご縁を戴き、この館林から「小さなうつわのメッセージ」を続けて記載することになりました。

今年の 10月7日には90歳になる( 1929年)昭和 4年生まれの私の人生に戴いた「小さなうつわ」との御縁から生まれた「小さなうつわの会」。そしてその会の事をお知らせする文を綴るという事から、私の小学校時代に日記をつけて、毎週日記を先生に提出して読んで頂いたことを思い出します。

先生は、日記を読まれた後に必ず赤いインクで感想文を書いて下さいました。

それは今でも楽しい思い出になっています。その先生のおかげで、日々素直に感じたことを文章に書くことが習慣付けられたのではと、ふと今思いました。

心の思いを書き綴ることは、大切な心を育てるため・・・


旧小さなうつわのメッセージ(山梨版)は、こちら