小さなうつわのメッセージの「折々の記 第58号 」

折々の記第58号

おわりに
御先祖様に感謝

群馬県館林は、夫の生まれ育ったところです。夫にご縁を戴いた頃に、夫の母から、館林のご縁の流れを話して戴きました。

夫の母方先祖は、秋元藩の家老の家柄ですが、父方先祖も同じ秋元藩の武士でしたが、身分は低い家柄とのことでした。明治になり、武士はなくなり、祖父母に当たる方は、当時の文明開化の地の横須賀に働き口を探しにでかけたそうです。

そこで、フランスから来られたパリミッションの神父様にご縁を戴いて、医者でもあった神父様のお仕事を手伝い、若かった二人は、自然の流れで結ばれたとのことでした。

二人は横須賀で結婚、その後、館林に帰郷。そして生まれたのが、夫の父でした。

館林育ちの義父は、祖父母の影響もあって、医者になりました。同じ館林育ちの義母は、夫を支えて館林に病院をつくり、三人の子供を育てました。その長男が、私がご縁を戴いた夫です。夫は義父にならい、医学の道に進み、勤め、今は医者としての仕事を終えて、生まれ故郷の館林に帰郷しました。

主人は無口な人ですから、そのことについての思いや、この地での思い出等は話しませんが、無言の中に、故郷の空気に包まれて、満足している様子が伺えます。

特に今住む家のあたりは、緑の木々の生い茂る公園の近くです。そうして、表紙に使った写真の尾曳神社の鳥居からは、館林の歴史を感じさせて戴きます。

広い宇宙の中の小さな星の一つのこの地球に住む人々が、長い時を経て伝え遺してきた様々の事から思います。ご先祖の歩んできた足跡、そして、残されてきた遺産、全てに心して感謝して、次の世代に伝えることが、この地球に生まれて生きる者の大切なお務めと、夫の故郷に住み始めて、今、改めて思いました。

そうした流れを絶やさずに子孫に伝えるということの大切さは、人の心を育てる大元の事の様に思いました。

この館林には、多くの御先祖様方の遺産が残されています。勿論、関西の飛鳥、奈良、京都を旅して思う文化遺産に比べればですが、神社の木々の中に、公園の池の畔に、長い年月、そこに住んできた人々に見守られ、人々を見守ってきた自然の命を感じます。

ふと、私の故郷は・・・と思いました。父母は、それぞれ故郷を離れ、東京で縁を戴いて結ばれ東京に住み、私をこの世に生み育てて下さったのです。父母は既にこの世を去り、生まれた家は今は無く、故郷は幼い時の思い出として、心に残っているだけです。

そんな私、この世に生まれ、それなりに一生懸命に生きて、この世の勤めを終えて、去る日も近くなった今です。

今生、この世に生を戴き生きたということは、ご先祖あってのことと、思いました。

改めてご先祖様に感謝致します。


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