小さなうつわのメッセージの「折々の記 第59号 」

折々の記第59号

はじめに
館林カトリック教会

「小さなうつわのメッセージ」の「五十鈴プロフィール」に記されている文に、【3代目のカトリック信徒に嫁し、家族の一人として1977年7月9日・イグナチオ教会にて、受洗・洗礼名・マリア・アスンタ】とあります。3代目のカトリック信徒の夫にご縁を戴いた時、義父に、家のカトリック信徒の流れをお聞きしました。

最初のカトリック信徒は、夫の祖母にあたる方で、東北の武士の家柄の娘で、江戸から明治になる時に新しい生き方を求めて、当時外国の文化の入口の横須賀に行かれました。

その横須賀で、パリミッションの神父様にご縁を戴かれて、神父様のお出来にならない産婆の仕事をしたとのことでした。その折に館林出身の「吉郎」に逢いました。

「吉郎」の家は、東北の大名だった秋元藩の家臣で、秋元家に従って館林に移り住み、明治以降も館林に住んでいました。

「とり」は「吉郎」にご縁を戴いて結婚、館林に住むことになりました。

一般の人々は、キリスト教のことについて余り知らない明治の始めの頃の事です。

勿論、地方にカトリック教会はない時代の事ですから、館林に住むようになった「とり」は、自分の家に神父様をお招きして布教のお手伝いをしたそうです。

私が館林でお会いした年配の方の思い出話に、とりさんの家でのキリスト教の集まりに、まだ小さかった主人の父が、神父様の御膝に抱かれて坐っていたそうです。

思い出すと、義父(ちち)は、いつも手にロザリオを持っておられました。

そしてある日、義父と一緒に道を歩いていた時、「人は愛ですね。」と突然言われました。この時のこの義父の一言は、忘れられない思い出です。

館林で、3代前から続くカトリック信徒の家の長男として生まれた夫は、この春、山梨での仕事を終えて、故郷の館林に帰省しました。

館林の夫が子供の時から遊んでいた祖父母の家の近くにあるカトリック教会に、日曜日の御ミサに行くことになりました。木々がこんもりと生い繁った中に、教会の建物があります。私が、結婚したばかりの頃にこの教会に来た時には、まだ、植えたばかりの細い木が並んでいたのを思い出しました。

それから五十年は経ちました。

その五十年の間に、義父と義母のお別れの御ミサを、この教会で戴きました。

館林教会 五十鈴撮影


旧小さなうつわのメッセージ(山梨版)は、こちら