この世に生まれ、戴いた「真」
人生中半を過ぎて、子育ても終わりの頃の事です。富士聖ヨハネ学園の陶芸班の作品に出逢い、そのうつわは、家に置いてありました。
その頃の3月3日のお雛祭りの日に、家にお招きした視覚障害の津友子さんがその陶器に出逢って感動。その後、津友子さんは、その陶器作者の富士聖ヨハネ学園の陶芸班に、感謝の心をお金に換えて初給料から送るということがありました。
この事は【文集】(HP用小さなうつわのメッセージ文集・ヨハネ版)に記載。
この出来事に始まって生まれた「小さなうつわの会」は、自然の流れで障害のある方々にお目にかかることになります。その思い出の一つの国立ハンセン病療養所多磨全生園の折の文です。(HP No259)(澤田和夫神父様に始めてお会いした日)
私は、全生園に伺うようになり、・・・そんなある日、全生園で澤田和夫神父様にお会いします。澤田神父様にお目にかかるのは、その時が始めてでした。
うす暗い廊下で「澤田です。私についていらっしゃい」と、昔からの知り合いのようにそれだけ言われ、ある病室に連れて行って下さいました。
そこには、一人の中老の男性の方が寝ていらっしゃいました。神父様は、何かお手伝いすることがあればと、私を紹介されました。その方は、かすれた小さなお声で、「有難うございますが、シスターがこられて、みんなして下さいましたから・・・。
でも、お願いがあります。私の話を聞いてください。」と言われました。
その方のお身体は子供ぐらいにしか見えませんでした。何故なら足が膝から下は崩れていました。お顔は目は閉じておられ、鼻の形はくずれておられました。手は小さく、指はくずれ、そのくずれた指を組んで胸の上に置いて居られました。
おそばに寄らなければ、聞きにくい小さなお声なので、私はベットに近づいて、その方のお身体の横に身を傾けて「お話を聞かせて下さい」とお願いしました。その方は、かすかに頷かれると、ゆっくりと話されました。
「私は、こんな身体ですから、寝返りをうつと、ベットから転げ落ちることがあります。でも、有り難い事に、怪我一ついたしません。それはマリア様の御守りがあるからです。」
私はその瞬間、その部屋が金色の光に包まれたと感じました。そして、涙がこぼれて止まりませんでした。その方の左の枕辺には、赤い色をしたロザリオが置かれていましたが、ところどころ剥げていて、くすんだ色は、祈り、つま繰る数の多さからなのでしょうか。
私はこの時、長い間私の心の奥底に秘めていた映像が、その部屋の光に包まれて昇天したのを、瞬間のことですが観たのでした。
その映像は、精神病院の汚い床に、綿がむき出しになっている敷布団の上に、ボロの汚れた寝間着を、ただ巻き付けられるように着せられ、骸骨に皮膚が張り付いているように痩せ細り、髪の毛をむしりとったような坊主頭の母が、ころがされるように寝かされいた死姿でした。あの豊満なお乳。豊かな丸髷を結っていた長い髪。明るい笑い声の母が・・・でした。
そして、私の10歳の時、精神病院の窓の格子の中から、母の歌う「いろは歌」を聞いた思い出の姿もでした。私がいるとは知らず、「有為の奥山今日越へて、浅き夢みし酔いもせず」と歌っていた母は、私が見た生前の最後の姿でした。その時は髪は長く、ふっくらとした母でした。
昭和16年12月8日、第二次世界大戦が始まり、動物園の動物が殺されたように、母も戦時には不要のものと、餓死という死を与えられ、母の息が絶えて心臓が止まる時を待つという、ただ、布団の上に置かれていたという、そんな母の日々だったのでしょう。
私より10歳上の学生だった兄は、自分の血を売って、お寿司の好きな母に差し入れをしていたそうです。最期の母の死を看取った兄が教えてくれた一言は、「お母さんは死ぬ時は正気だった。そして『ありがとう』と感謝の言葉を最後に息をひきとった」でした。
全生園で、部屋の中が金色の光に包まれたその時、その光の中にその母の死姿を観たのでした。そして「この世は魂の成長のための修業の場です。この世での修業をしっかりと果たしてから、こちらにいらっしゃい。」という母の声を聴いたように思いました。
そして、「子供の時に体験して戴いた悲しみや苦しみは、魂の成長の土壌です。」と言われていた母の遺言のような詞も思い出していました。
私の人生に戴いたノン・フィクションの物語は、1973年5月18日、アメリカのコロラド州デンバーで、聴覚障害をもたれたご夫妻に御縁を戴く事に始まり、其の後、次々と障害をもたれた方々にご縁を戴くのでした。以前に記した文です。
母の十字架を背負ったような厳しい死姿を、私は子供の時に見させて戴き、私の魂の成長の土壌となりました。
1973年の事、アメリカのコロラド州デンバーで、マリア様のご縁の月の5月、観音様のご縁の日の18日に、聾唖という障害をもたれた方とのご縁を頂きます。
そしてその日「Melting evil the love」「罪を溶かす愛」「罪を清める愛」というメッセージを頭上に頂いてはじまる、私のノン・フィクションの人生行脚物語です。