小さなうつわのメッセージの「折々の記 第59号 」

折々の記第59号

おわりに
ご縁の流れで・・・

今年の10月7日の誕生日には、90歳という齢の私です。この世に命を戴いて過ごしてきた人生も、そろそろ幕を閉めて旅立つ頃になりました。

その今、今生戴いた道行を振りかえり思う事は、障害という重荷を戴かれた方々に御縁を戴いた事です。

私の父も母も、この世的には良い環境で育ち、父は大学はドイツに留学、帰国後は日本で特別な地位を戴いていたようでした。

医者の娘だった母も大切に育てられ、東京のある有名な女學校に入学、卒業後に、父と結婚。3人の子を戴いた幸せな日々でした。

その頃、1937年(昭和12年)日本は、7月7日の盧溝橋事件を発端とする戦争が始まりました。軍人として重要な地位にいた父は、ある地方の軍港に派遣され、軍部の配慮から単身赴任の父の世話をする女性が用意されたそうです。

その事を知った母の心は乱れ、精神分裂症という病になりました。

そして、父の地位に対する軍部の配慮から、母は人里離れた精神病院に入院、そして、なるべく早くこの世から去るようにと、食物で操作されたようでした。

澤田神父様に始めてお会いした日、全生園で、何故か母の最期の姿が、昇天していくのを見たのでした。

13歳の時に母と別れ、戦中戦後と様々な人生の試練を経て大人になった私が、母の死姿が光の中に包まれて天に昇るのを観た時、「この世は、魂の成長のための修業の場です。この世での修業をしっかりとしてからこちらにいらっしゃい。」という母のメッセージを、その時戴いたと思いました。

私は、この世で障害という重荷を背負って生きる方々にご縁を戴いて、その方々に導かれての今生と思っております。そして、戴いた「難有り」のお恵みには、「有難う」の感謝の詞でお返し致しております。

山梨県でご縁を戴いて始めた「小さなうつわのメッセージ」は、2005年の7月18日からインターネットに掲載しました。そのNO1の文です。

こんにちわ小さなうつわです。1973年5月18日から、そのおりおりにめぐりあい、ひびきあいながら今年の5月17日にその中で生まれた集いの会は終わりました。

その後、次のめぐりあい・ひびきあいのホームページを「小さなうつわのメッセージ」として作ることに自然の流れでそうなりました。

どうぞよろしく。めぐりあい・ひびきあい・そして・・・どうなっていくのでしょう。

それから「小さなうつわのメッセージ」を綴り続けて、主人が、山梨での仕事を終えた事により、2019年5月31日に終焉しました。

そして、故郷の群馬県館林に帰郷。この地でご縁を戴いた方との自然の流れで「折々の記」を、続けて2019年6月30日から掲載となりました。


旧小さなうつわのメッセージ(山梨版)は、こちら