小さなうつわのメッセージの「折々の記 第60号 」

折々の記第60号

はじめに
朝の散歩道

昨年、山梨で勤めを終えた夫は、生まれ故郷の群馬県館林に帰郷致しました。

そして、私達老い人夫婦は、日々移り変わる季節の風情を楽しむ館林城沼(じょうぬま)の畔をひと回りする朝の散歩を始めました。

この館林に人々が住み始めたのは、今から約2万年前とのことです。そして多くの人々が時を重ねて住み続け、江戸時代の幕府の五代将軍徳川綱吉が館林城に居住の折に、城を守るためにこの城沼(じょうぬま)を造ったとのことです。

この城沼のまわりには、遠く山々が望められる「朝陽の小径」と名付けられた一周5キロメートル道があります。私達は毎朝その道を歩きます。

毎朝の散歩の道筋に、ツツジの名勝で有名な「つつじが岡公園」があります。

その「つつじヶ丘公園」についての謂れが書かれてある文です。

【江戸時代の1605年、徳川家康に仕えていた館林城主、榊原康政(さかきばらやすまさ)には、側室の「お辻」がいました。康政の寵愛を一身に受ていた美しいお辻は、正室らによる嫌がらせを苦に、城沼に身を投げてしまいました。

人々はこれを悲しみ、「お辻」と「つつじ」の音がにていることから、城沼の南岸にツツジを植え、その後、増殖が行われツツジの名園になったと伝えられています。】

「つつじヶ丘公園」の躑躅
五十鈴撮影


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