小さなうつわのメッセージの「折々の記 第60号 」

折々の記第60号

おわりに
懐かしい絵

織田廣喜画伯が、何かの折に私をスケッチして下さった絵です。

小さなうつわのお便りに掲載させて戴いた私の画いた絵です。

2005年の7月18日に「小さなうつわは見えますか. ええ、見えますとも透き通っているから」という文に始まった「小さなうつわのメッセージ」は、それから14年続けました。今年の10月7日に、1929年(昭和4年)生まれの私は90歳になります。

その限[キリ]の良い年に、懐かしい絵を感謝して見て、終ることに致します。

小さなうつわさん、ありがとうございました。2019年7月30日

懐かしい絵を見ていたら、懐かしい「小さなうつわ」の文が思い出されました。

小さなうつわ

神様のおつかいが神様の大切なものをいれるうつわをさがして
一日中歩かれましたが見つけることができませんでした
山の端に夕日のしずむのを眺めていらっしゃいました

小さなうつわは山陰の山すその村外れの片隅で
神様の大切なものをいれるうつわになれる日を楽しみに待っていました

今日も夕日に挨拶をします「また、明日」
夕日も山陰の山すその村外れの片隅の小さなうつわに
最後のひかりのすべてを投げかけて山の端に沈みました

夕日が沈む最後のひかり眺めていらっしゃった神様のおつかいは
山陰の山すその村外れの片隅にキラリと光るものを御覧になりました

小さなうつわは今は神様のおそばです神様の大切なものをいれるうつわです

小さなうつわは見えますか
ええ、見えますとも透き通っているから

「それでは小さいか大きいかわからなくなっちゃった」と
ある人がつぶやきました

1978年3月3日

五十鈴


旧小さなうつわのメッセージ(山梨版)は、こちら